京都・醍醐寺 -真言密教の宇宙- |
Daigoji Temple: A Shingon Esoteric Buddhist Universe in Kyoto |
京都の山科にある醍醐寺は、貞観 16 年 (874) に理源大師聖宝によって開かれて以来、歴史の表舞台で重要な役割を果たしてきた名刹です。 真言密教のうちでも、特に加持祈祷や修法などの実践を重視する寺として発展し、その本尊となる彫刻や絵画、修法で用いる仏具など、9 世紀の開創期からの名宝が数多く伝わっています。 また、修法の次第や方法、本尊の図像についての記録、時々の為政者からの帰依を示す文書などは七万点近くに及ぶもので、国宝 「醍醐寺文書聖教」 として醍醐寺の繁栄の歴史を伝えています。 |
2016 年、国宝・重要文化財の仏像や仏画をはじめ、文書・書跡など数多くの貴重な寺宝が海を渡り、初めて中国で展示されました。 平安時代から近世にいたる同寺の歴史と美術をたどる展覧会は好評を博し、上海と西安の二都市で
80 万人以上が来場しました。 |
本展は国宝・重要文化財に指定される仏像や仏画を中心に、貴重な史料・書跡を通じて、平安時代から近世にいたる醍醐寺の変遷をたどるものです。 密教の世界観を表す重厚な密教美術のほか、桃山時代に豊臣秀吉が行った
「醍醐の花見」 の関連作品や、三宝院の襖絵、俵屋宗達による屏風など、醍醐寺をめぐる華やかな近世美術も鑑賞できる貴重な機会となります。
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'2018 9_18 「京都・醍醐寺―真言密教の宇宙―」 展のプレス内覧会の会場内風景です。 |
cat.14 国宝 《薬師如来および両脇侍像》 三軀 木造 漆箔 |
「京都・醍醐寺―真言密教の宇宙―」 展 |
深遠な 密教美術 の宇宙を体感!
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「展示構成」 |
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【展覧会の見どころ】 |
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「展示構成」 |
'2018 9_18 プレス内覧会の作品展示風景です。 「京都・醍醐寺 ―真言密教の宇宙―」図録、NEWS RELEASE No..sma0036 などからの抜粋文章を掲載しています。 |
第1章 聖宝、醍醐寺を開く 平安時代の貞観 16 年(874)、天智天皇の流れをくむ聖宝ば、東大寺において諸宗を学んだのち、醍醐味の水が湧き出る笠取山を見出し、草庵を結んで准胝・如意輪の両観音菩薩像を安置しました。 醍醐寺の始まりです。 その後、醍醐寺は醍醐天皇をはじめ歴代天皇の帰依を受け、笠取山上に薬師堂や五大堂を加えて伽藍 (「上醍醐」) 整えながら、その山裾にも伽藍 (「下醍醐」) を展開し、開創から数十年のうちに大規模な寺観を整えていきました。 本章ではまず、聖宝の肖像や伝記、縁起をはじめ、、醍醐天皇御願として聖宝により造り始められた上醍醐の薬師堂本尊の国宝 《薬師如来坐像および両脇侍像》 や、日本における如意輪観音像の代表作の一つである重要文化財 《如意輪観音坐像》 の名品によって、醍醐寺の草創期を概観します。 |
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・cat. 15 重要文化財 《如意輪観音坐像》 一軀 木造 漆箔 像高 49.0 平安時代 10 世紀 |
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・cat. 15 一切衆生の願望を満たし、苦を救うという 如意輪観音坐像 は、醍醐天皇の流れをくむ 聖宝 が醍醐寺を開いて以来、寺内において特別に信仰されてきた尊像である。 ・cat. 1 平安時代・延歴 23 年 (804)、求法のため唐に渡った 空海 (774~835) は、長安 (現在の西安) の青龍寺において密教の第一人者である 恵果 に学んだ。 帰国後は真言密教の開宗に尽力し、嵯峨天皇の命により東寺を建立したほか、神護寺や高野山に金剛峰寺を開いて真言密教の礎を築いた。 その直系の弟子となるのが醍醐寺を開いた聖宝である。 ・cat. 2 中国・唐時代の高僧 善無畏 (637~735) とともに 『大日経』 を漢訳した高僧一行 (683~727) は、善無畏が講述した 『大日経疏』 を 20 巻に記した。 本作品は、その 『大日経疏』 から要文を抜き書きしたものである。 現状は前後を欠いた残巻で、紙質や寸法、界線の有無もさまざまな料紙九紙を貼り継いでおり、真言密教を修学研鑽する若き日の空海の自筆と考えられている。 |
第3章 法脈を伝える―権力との結びつき― 修法が多く行われるようになると、各密教僧の間で異なる修法次第が生まれ、醍醐寺内でもいくつかの法流が形成されました。 その中で中心となったのは、第十四代座主の勝覚が創建した醍醐寺三宝院を拠点とする三宝院流です。 同院の院主は醍醐寺座主を兼ねることも多く、足利尊氏の政権における賢俊や、足利義満以下三代の将軍に仕えた満済など、彼らが座主として時の為政者帰依を受けることで、寺は繁栄を遂げてきました。 本章では、法脈を形成した祖師像や、師から弟子へ伝えられる諸尊の修法について編集した記録などによって、法脈の相承を紹介するとともに、天皇や時の為政者の文書・書跡によって、醍醐寺の繁栄の歴史をひもといていきます。 |
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・cat. 101 国宝 《織田信長黒印状》 一幅 紙本墨書 縦 17.3 横 46.4 安土桃山時代 16 世紀 |
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・cat. 101 織田信長 (1534~82) が醍醐寺三宝院に宛てた書状。 これ以前に信長の戦勝を祈願する祈祷を行った三宝院から、戦陣にある信長に 「祈祷之巻数」 が贈られており、それに対する返信である。 巻数とは、密教修法などの祈祷において、真言や宝号、またそれを唱えた回数などを書き上げた文書で、修法を実施した証であるとともに、それ自体が護符のような性格を有した。 ・cat. 75 三国 (インド、中国、日本) の高僧 46 人の肖像を集成した画巻。 46 人の内訳は、真言宗の僧が半分ほどを占め、中でも小野流の僧が多く、そのほか禅宗の祖師や道教の神々も含むという多彩な顔ぶれである。 本巻は鎌倉時代の写本で、原本は小野流の祖である 仁海 (951~1046) が撰述し、自ら描いたものであることが寛永 16 年 (1636) 書写の仁和寺本によって知られる。 |
'2018 9_18 「京都・醍醐寺―真言密教の宇宙―」 展のプレス内覧会の会場内風景です。 |
「密 教」 |
密教とは、インドにおいてバラモン教の影響を強く受けて生まれた仏教の一派で、日本には平安時代に空海が中国・唐で学んで本格的に伝えた。 密教はそれまでの仏教とは異なる点が多く、例えば一切の根本仏である大日如来、忿怒尊の明王、また女性尊など、新たなみほとけが独自に創案された。
ほとけの姿も特徴的で、明王に代表されるようなすざまじい怒りの表現や、時に官能的な表現すら見られ、密教の神秘性の一端が現れる。 |
・cat. 38 国宝 《五大尊像》 5 幅 絹本着色 鎌倉時代 12~13 世紀 |
お問合せTel:03-3479-8600
展覧会公式サイト http://daigoji.exhn.jp/ サントリー美術館公式サイト:http://suntory.jp/SMA/ 主催:サントリー美術館、総本山醍醐寺、日本経済新聞社、テレビ東京、BSジャパン 協賛:京都銀行、サントリーホールディングス、住友林業、損保ジャパン日本興亜、ダイキン工業、竹中工務店、NISSHA、三井不動産 サントリーホールディングス株式会社は公益社団法人サントリー芸術財団のすべての活動を応援しています。 |
参考資料:「京都・醍醐寺―真言密教の宇宙―」 図録、NEWS RELEASE No.sma 0036、プレス説明会、他 |
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